みっちー日記3 40代の楽しい生き方

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2016-05-07 ひとりで道を歩きふと花を見たら、立原道造の詩「ひとり林に・・・」を思い出しました(№297)

先日、仕事が休みだったので外を歩いてみました。

そうしたら、きれいなお花がありました。 

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いつからだろうな?

お花がきれいだなぁと心から思うようになったのは。

 

そして、そのお花を見ているうちに、

立原道造という詩人の「ひとり林に・・・」という詩を

思い出しました。

 

だれも 見てゐないのに

咲いてゐる 花と花

だれも きいてゐないのに

啼いてゐる 鳥と鳥

 

通りおくれた雲が 梢の

空たかく ながされて行く

青い青いあそこには 風が

さやさや すぎるのだらう

 

草の葉には 草の葉のかげ

うごかないそれの ふかみには

てんたうむしが ねむってゐる

 

うたふやうな沈黙に ひたり

私の胸は 溢れる泉! かたく

脈打つひびきが時を すすめる

 

題名のとおり、立原はひとり林にいたわけです。

 

そこには花が咲き、鳥が鳴いています。

空には雲が流れ

ふと下を見ると草のかげには

てんとう虫が眠っていました。

 

そんな林の中にいる立原は

林の中のその

「うたふやうな沈黙」

の状態に浸っていたのです。

 

「歌うような沈黙」ってずいぶん難しい表現ですね。

 

歌は音のある状態で、沈黙は音がない状態。

何を言いたいのでしょうかね。

 

例えば、花が咲いている状態を立原は「歌っている」と見たのかもしれません。

 

てんとう虫が眠っている状態ですら「歌っている」ように見えたのかもしれません。

 

もしそうだとしたら、「歌うような沈黙」の意味も少しはわかります。

 

とにかく、そんな「沈黙」に立原は浸りながら、彼の胸は「溢れる泉」のように、いろいろな思いや気力や希望や、その他もろもろが、湧いて出てくるのでした。

 

きっと林の中で立原は「生きてる!」って感覚だったんでしょうね。

 

 

私はこれまで、この詩を好きというほどでもありませんでした。

 

でも、道端に咲いている花たちを見ているうちに、この詩を書いた時の立原道造の気持ちにちょっと触れることができたような気がしたのです。

 

なんか、お花をたくさん見ていたら、心の中から何かが湧き上がってきたのです。

 

そうして立原道造の詩はいいなぁとつくづく思いました。

 

 

ちょっとこの詩の内容とは離れてしまいますが、

「誰も見ていないのに咲いている花」という表現。

 

私はけっこう好きです。

 

花は、誰が見ていなくても、自分のアイデンティティを保っています。

 

チューリップはチューリップだし、ひまわりはひまわりです。誰が見ていても、誰も見ていなくてもそれは変わりません。

 

そして、人が見ていようと見ていなくても、きれいに花を咲かせます。

 

私もそんな花のようでありたいと願っています。

 

誰が見ていても、見ていなくても、自分は自分でありたい、

 

常に自分のアイデンティティを保っておきたいなぁと思いました。

 

 立原の詩とはちょっと離れてしまいましたが、ふとそんなことも思った次第です。

 

みなさんも立原道造の詩をぜひ読んでみてください!とてもいいですよ!

 

では、今日はこのへんで!

 

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